江戸しぐさ

Friday, February 26, 2010

「知識だけではダメになる」

第 21回平成 17年度春の講演会
演題:「知識だけではダメになる」
講師:寺垣研究所所長寺垣武様
日時:平成17年6月17日18時30分〜20時30分
場所:JJK会館(築地)
主催:ブロードバンド研究会

【全体の中で個】
個は個として存在しているわけでなく、全体との関わりを必ず持っています。60年以上も前の古い話で恐縮ですがガダルカナルで日本軍が、あれだけの犠牲を出したのは、戦火がエスカレートするあまり、軍指令部が全体を把握できなくなったからです。最近の大企業の幹部の不祥事も同じ理由に起因しているのではないでしょうか。国家でも企業でも伝統と歴史があり、その延長線上での活動でしかないのです。自分一人でやっていると思っているつもりでも、実際は過去の沢山の人たちの働きや文化、歴史をひっさげて生きているのです。

【物事の認識が重要】
物事の本質の認識ということが大切なんです。根本の認識が間違うと、全く違った方向に物事は進んでしまうのです。尼崎の電車事故も線路から車輪は外れるものだという認識の欠如が招いた悲劇であると思います。小泉さんの靖国神社参詣問題が話題になっていますが、日本が昭和の 15年間に中国で他人の庭を土足で踏みにじったという根本的な事実の認識がない限り解決は難しいと思います。

【目的と手段の勘違いが大きな過ちを生む】
世の中を見ていますと目的を勘違いしていることが多いですね。会社で上司に報告することがあると思いますが、伝えることが目的であり、会話する事は手段でしかないのです。伝わらなければ、身振り手振りで何度もしゃべって伝えるべきなのです。形式だけの会話では報告したことにならないのです。最近は何でもデジタルにしたがりますが、デジタル化は目的でなく手段なのです。安く大量に作るという面から見るとデジタルは有用ですが、何でもデジタルにすれば良いというものではありません。私にとってオーディオは手段であって目的ではありません。オーディオを通して私の考えを表現することが本来の目的なのです。

【知識だけではダメ】
全体性を押さえた上で、原点さえ正確につかんでいれば、情報だけに頼らずにすむものです。下手に情報に頭を突っ込むとその枠組みから抜けられなくなって発想が貧困になってしまいます。知識や情報という重いジャケットを脱がなければ飛び上がることはできないのです。目の前の現象を素直な心で見て、真相や実態をつかんでから、またそのジャケットを着れば良いのです。

【人に向いていない技術はむなしい】
どんなに素晴らしい技術でも、人の幸せに結びつかない物は意味がありません。最近のテレビのリモコンや携帯電話は、ゴタゴタ、使わないボタンが沢山ついています。それで便利になったかというと、かえって使いにくくなっています。機能を付けないと他社製品に勝てないからとか、高く売れないという理由でやっている場合が多いのです。それは使う人の立場に立ったものではありません。ライバル企業を蹴落とそうとか、単なる金儲けをしようというだけの技術をいくら開発しても、それは空しいものです。

【人間の目の不思議】
男の色気を感じさせる BOSS COFFEEのデビット・ニーブンのポスターをご覧になったことがあると思います。これを近くで見ると何のことだかサッパリわかりません。しかし、このように遠ざけて見ると二本の単純な線が中年の色気のある目尻のしわに見えてくるのですから人間の目は不思議です。これがアナログの特徴とも言えるのです。デジタルでいくら細かく分析しても、この絵がデビット・ニーブンの目じりのしわであることは分らないでしょう。何でも白黒ハッキリさせれば良いというものではありません。分析もある線を超えると人の思考を止めてしまうものです。

【デジタル情報には重さがない】
情報化社会と言われていますが、私の目から見ると現代は、情報欠落時代だと思います。インターネットに流れているようなデジタル情報には質量がありません。苦労しなくても簡単に手に入れることができます。だから実体から遊離しやすいのです。ロケットの打ち上げは重力との戦いです。技術者たちが苦労して築き上げた大変な技術が詰め込まれています。持って実感のない物には価値がありません。ITやデジタル情報だけに振り回されてはいけないと思います。人が使おうとすれば、どんな情報も、最後はアナログにならざるを得ません。デジタルのままでは、音も聞こえないし物も動かせないのです。

【国家意識がエネルギー】
何でこんな儲からないことを20年間も続けられたのかと聞かれることがあります。私は、お金儲けだとか自分のためだとか思うと、どうも頑張れないのです。私は、大正生まれですが、ここまで頑張れたエネルギーは、国家意識にあると思います。国家のために貢献できるという思いが私を駆り立てます。これも、時代背景がそうさせたのだと思いますが、日章旗を背中に背負っていないと張りきれないのです。アナログレコードという文化遺産を守るという国家意識が私のパワーの源になっています。

【私の健康の秘訣】
東京駅で背中の激痛に襲われて歩けなくなったことがあります。その時は「死の行軍 600キロ」を思い出して必死の思いで家に戻りました。外科の先生は脊椎の手術を薦めましたが、早稲田の仏文の先生が、風呂に入って疲れた筋肉を癒せば直ると言われました。私は、医者が嫌いですので、早稲田の先生の通りにしたら2、3日したら痛みは遠のいて直ってしまいました。手術をしていたら病院の別の出口から出ることになっていたかも知れません。人は、人間である前に動物だと思います。あまりクヨクヨ悩まない方が良いのです。病気は直るという気持ちが強ければ直るものだと思います。最近は朝になったら生きていて良かった。夜になったら今日一日生きられて良かったと感謝しています。お金をためて、私が作るレコードプレーヤーを買おうと待っている人がいるんです。そんな人がいる限り死ぬこともできません。こんな責任感で、私は生きています。

【日本にしかできないもの】
日本は、四季があり、狭いところに沢山の人が集まった島国です。資源も何もありません。しかし、日本には日本の歴史があり、取り巻く環境も日本独特のものがあります。日本人には日本人としての長い歴史に培われた血が流れており、この日本の特質を良く認識して日本でしかできない、世界に誇れる物を作っていくことが大切だと思います。

【自然の音は波動】
市販のスピーカーでこのような広い場所で音を聞かせるためには 100ワット以上の大きなパワーが必要ですが、このスピーカーは、通常は 5〜6ワット、どんなに広いところでも10ワットを越えるパワーは必要ありません。その理由は、振動ではなく波動で音を伝えているからです。このスピーカー自体は、ほとんど振動していません。人が前に立っても同じように聞こえます。それはスピーカーからの直接の振動を伝えているのでなく、波が空気の分子レベルで伝わる波動の原理を使っているので小さなパワーでこれだけの音が出せるのです。オルゴールに下敷きを点接触させて、折り曲げなどのストレスを与えると、驚くほど音がクリアになり大きく聞こえます。これは波動が下敷きの分子間を駆け抜けながら空気の分子を揺り動かしているからです。

【自然に学び自然と共に生きる】
人間はもっと謙虚になって自然に学ぶべきだと思います。特にシステム化された現代社会において、自然と共に生きるということは大切なことです。指先ほどの小さな鈴虫の声が私たちの耳に大きく聞こえるのはなぜでしょうか。鈴虫は、仲間を呼ぶために無心に小さな羽をこすり合わせているのです。羽という自然の材質の自由振動から生じた音だから伝わるのです。そこから出る音は波面のそろった波動なので隙間を通ってどこまでも伝わります。オルゴールの音色が心地よいのは、音源の自由振動を妨げていないからです。

【アナログプレーヤー開発の発端】
ある雑誌で「レコードはカッティングするときに数百ワットもの電力を投入している」ということを読み、電撃が走りました。常識的に0.1ミリ程の溝にそれだけのパワーを注入するのは考えられないことです。おそらく膨大な情報量が刻まれているに違いないと直感しました。今、市販されているプレーヤーは、その凝縮された情報を完全に再生できていないのではないか。そこで、レコードの情報を忠実に再生する分子レベルまで測れる表面粗さ計を作ろうという考えに至ったのです。この認識がアナログプレーヤー開発の出発点になりました。音を電子的に加工するだけがオーディオだと認識していたら、全く違った方向に進んでいたと思います。

【レコードは今世紀最大の文化遺産】
ベルリンフィルとニューヨークフィルのオーケストラの音色が違うのは、文化の違いですから当たり前です。音楽は芸術家が作っています。技術者は、この音をコピーして残すことしか出来ません。絵画でも何でもそうですが、元来、コピーと言うものには価値はありません。しかし、音楽はコピーでしか残せません。音楽という芸術を残すために、音楽産業に膨大な社会資本が投入されているのです。このレコードという文化遺産が本当の音を出さないまま捨てられるのは、国家に対する冒涜だと思います。この思いが究極のアナログプレーヤーの開発を 20年も続けさせた原動力になっています。

【古いレコードの音質が素晴らしい】
レコードは古い方が音が良いというと皆さん、おかしいと思われるでしょう。新しいレコードは、オーケストラのパートを別々に録音してミキサーで合成するという高度な技術を使っています。しかし、これではハーモニーが再現できないのです。音と音とが重なって始めて音場が出来るのです。満員電車の中で会話が出来るのは、耳が騒音から会話の音場を選択的に捉えているからです。音場のない寄せ集めの音は雑音でしかありません。

【失敗という経験から学べ】
このプレーヤーを完成させるまでに何台失敗したかわかりません。何億円もどぶ川に捨てるようなことをやってきました。しかし、失敗した経験は無駄になってはいません。お金をかけて上手くいかないことが分ったのですから、それは大事なことです。失敗がなかったら、ダメなものに執着してダラダラといつまでたっても止めることができなかったかもしれません。ダメなものは一刻も早く撤退するという引き際の良さも必要です。人間の経験で無駄なことはひとつもありません。つねって痛くないものは身に付かないのです。経験こそ最大の学習だと思います。

【感動の大切さ】
この森進一のレコードを聴くと如何に彼の声が悪いかが分かります。しかし、如何に感動させる歌い方をしているかも良く分かります。このレコードは、古賀政男が是非、森進一に歌ってもらいたいと口説き落として実現したもので古賀自身がギター伴奏をしています。レコーディングが終わったときに森進一が感動して泣き崩れたと言う曰く付きのレコードです。古賀と森の心と心のふれあいから生まれたレコードと言っても良いでしょう。技術より何より感動が最も重要なことがわかります。テレビコマーシャルの挿入歌で有名なミネハハさんという人がいます。皆さんも何処かで必ず耳にしたことがあると思います。ミネハハさんは色々な声色が出せるということで、大変な売れっ子になりました。その人気絶頂のときに、自分が何者なのか分らなくなってしまったのです。そこで、地位も名誉も捨てて、電気もガスも何もないアフリカの村で生活したり、グランドキャニオンで座禅をしたりして考え抜き、「これからは、人を感動させるために歌おう」と決意します。自分の命から出た声で歌った「海ゆかば」は素晴らしい感動を与えてくれます。

【子孫にまで伝わる機械】
このプレーヤーは、短く見積もっても180年は動かすことができます。子から孫へ使い続けることが出来るのです。この使い続けるということが文化の伝承になると思います。安いものを作って何でもかんでも使い捨ててしまう今の世の中では、このような長持ちするものが失われつつあります。日本の伝統的な文化の伝承が分断されているのです。でも、こんなものばかり作っていたら企業は儲からないのも事実です。利益の追求と良いものを作るということは相反するところがあります。

【究極のレコードプレーヤーの開発】
電気を動力にしたモーターを使っている限り、モーターの振動音がターンテーブルを伝わり、それをカートリッジが拾って音を濁ったものにしてしまいます。モーターのないレコードプレーヤーが出来ればもっとクリアな音の再生ができるはずです。では、何を動力にするかというと、重力なんです。錘が落ちるときの力を使ってターンテーブルをまわす仕組みです。現時点では、十五秒しか回りませんが、錘を巻き上げるという工夫をして長く回す仕組みを実験しながら考えています。もう少し、お時間をいただきたいと思います。これが完成したら究極のレコードプレーヤーになると思います。

「いきで素敵な江戸しぐさ」

第8回勉強会新春特別講演演題
「いきで素敵な江戸しぐさ」
講師 江戸しぐさ語りべ 越川禮子様
日時平成15年1月23日18時〜19時30分
場所江東区役所東陽出張所(木場)にて収録
主催;ブロードバンド研究会

【お目見えしぐさ】
越川でございます。昨年のクリスマスパーティで、お目見えしぐさではありませんが、ちょっと顔をだしまして、お顔なじみになった方もおられます。最初にお断りしたいのですが、私の話は資料による研究ではなく、日本でただ一人、江戸しぐさを発掘しまして、再現して伝承されました、芝三光(しば・みつあきら)先生から口伝えで聞いたものをお話しています。芝先生の芝は増上寺の芝です。本名は亡くなる10日前くらいに知ったんですが、江戸講の講師は、あだなで呼ぶ習わしがありまして、かなで、うらしま・たろう、と言うんです。いきな名前なんですね。今日の演題は「いきで素敵な江戸しぐさ」というもので話したいと思います。やさしく、面白い話を選んできたんですけど、私の話はいつも、幕の内弁当なんて言われて、入れすぎると言われるんです。せっかくのチャンスなので、つい欲張っていろんな話をあれもこれもと、入れようとしてしていますので、全部話せるかどうか分かりませんが、出来るだけ時間の限りお耳をけがしたいと思います。今日のお話の内容は本にも書いてありますが、話と本では、インパクトが違うと思います。

【江戸しぐさの最終章は死に様】
さて、その先生は江戸しぐさの講師なんですが、昨年で三回忌を迎えまして、胃癌で腹膜炎を併発して、亡くなったんです。江戸しぐさの最終章、一番終わりの章は、死に様だそうです。これは人間誰でもそうですね。死にざまというのはあっても、生きざまという言葉はないようですね。先生は最後まで、江戸講の講師として、江戸の町衆だったら、こうしたろう、こう考えただろう、ああしたろう、ということを思い描いて芝居をしてたと言うんですね。今の現代と合わない場合もあったし、随分いろいろ苦しんだわけですけれど、江戸講最後の講師として自ら演じていたわけですね。自分の考え方、生き方が江戸しぐさだと良く言われていたんです。この先生の一代記、うらしま行状記、を書いたら面白いと思っているんです。江戸の講師の死に様は、行脚の路肩に道を説きながら崩れ折れるように、倒れ果てることだそうです。六十過ぎたら畳の上で死ねると思うなというのがあるんです。江戸の講師というのはそのくらいのつもりで、乞食行脚、全国飛び回っていろんな人に話をすることだったようですね。でも、癌の最終のときは、腹膜炎を併発しまして、お腹がこんなに膨れてしまって、私がお見舞いに行く20分間のためにガスを抜いておかないと、とても会えないような状態なんですけど、最後まで話してくれたんです。私にクレジットという形で録音をとっておいてくれたんですよね。井田病院というところがありましてそこは、日本の行政として始めての素敵な老人病院、ホスピスなんですね。個室もホテルみたいな病院でした。そこは何年か前の10月7日にオープンしたんです。10月1日に私がいろいろ奔走しまして先生に入っていただいたという、そういう病院だったんですね。そこにカウンセラーのような方がいるんですね。江戸しぐさの話をされて、それを録音したんです。何巻かあるんですが、うなるような声で全然聞きとれないんです。

【江戸しぐさの師、芝先生のこと】
先生の素性をお話しますと、先生は最先端の電子工学をやられて、国文学とか医学とかもやってらして、米国のポピュラーサイエンスという雑誌の日本語版の編集長をされていたんですね。それで大変な激務で体をこわされて、そこをやめた後は江戸しぐさの普及と伝承をされたという生涯を送られた方なんですね。ちょっと複雑な生い立ちがあるんですけど、母方が江戸ゆかりの方なんですね。このあたりは、追い追い書いていこうと思っているんですが、先生が江戸しぐさを教えてくださったとき、言われたことは、江戸しぐさは知識ではないんだと、日本人は何でも、お勉強として知識としてとらえてしまうんですが、そうではないんですよと。また、単なる礼儀作法としての振りとかエチケットとかポーズでないということを皆さんに知らせて欲しいとおっしゃっていました。日本人として、遺伝子として血の中に流れている日本人のグローバルスタンダードとしての江戸の感性なんですね。皆さんの. DNAの中にあるということを、早く気づいて欲しいとよくおっしゃっていました。皆さんが小さいときに聞いた、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん、近所の人たちから聞いた話やしぐさの中に思い当たることがあるんじゃないかと思います。江戸しぐさと言うものはそういうものです。

【いきで素敵って?】
テーマは、「いきで素敵な江戸しぐさ」と付けたんですが、江戸しぐさが、どこがいきで素敵なのかを終わったあと、自由に、そんなことかと感じていただきたいと思います。いきって言えば粋という漢字を使っていきと読ませますが、本来、これはいきとは読まないですね。すいですよね。京はすい、江戸はいきって言うんですが、いきの美意識を哲学的に分析したと言われる、九鬼周造のいきの構造という本がありますね。そこで言われている、粋の定義と言うのは、あか抜けして、はりのある、色っぽさ、と言う意味でちょっと違うんですね。ここに書かれている、粋と言うのは、人生をいろいろ体験した年増の芸者さんかなにかをイメージしているんです。江戸しぐさのいきは、どう言うことかは、あとでご説明いたします。また、素敵ということを申しあげましたが、素敵という言葉はモダンですよね。近代的な感じがしますが、江戸ではすでに使われていたんです。式亭三馬の浮き世床にも、素敵と寒いじゃないかという言葉が出てくるんですね。随分とか、むやみにとか、いう意味なんですね。仰山な様とか大層なとかこれは広辞苑に書いてあります。江戸の女性の良い名前は、素子とか康子とか良子とかいう名前なんだそうです。ここに来られている方の奥様が素子だとか康子だよという方も居られるかと思いますがこの素子は味の素の素なんですが、すっこちゃんとか呼ばれてすばらしい女の子っていう意味なんです。みなさんも、先生なんかをからかって先敵なんて敵をつけたじゃないですか。素に敵をつけて素敵、敵ながら素晴らしいという江戸の造語なんだそうですよ。今で言えばコギャルの流行語と同じようなものだったので、上品とか格式のあることばではないけれど、美人ねと言われるより、素敵ねと言われたほうが、その人のハードだけじゃなく、ソフト、そ の人の生き生きした生命体をたたえているような気がして、素敵ということばは、とても素敵と思うんですね。

【江戸しぐさは江戸楽】
江戸しぐさは江戸楽、学問の学は、ぐぅあくという発音をするんだそうです。私は江戸っ子ではありませので上手く発音出来ませんが、江戸言葉はしゃべくりことばだから、化け学とか言わなくても耳で意味を聞き分けられる訓練を寺子屋でやっていたそうです。ここは木場ですよね。ですからここに住んでいる方は、生粋の江戸弁というものが出来るのではないでしょうか。うちの恵比寿の会社の近くのお魚屋さんのおじいさんのしゃべり様がとっても素敵なんです。おじいさん、江戸っ子でしょうと言ったら、そうだよ、だけどだめだよ、もう古来まれな人になっちゃったよ、なんて言うんです。古希のことをいっているんです。私なんかもうとっくにすぎているわよ。と言ったら、そうかい、じゃあ、お互いに頑張りましょうなんていってましたがね。時々、お店なんかをやっている人で、本当にさわやかな江戸弁を話す人がいます。話を戻しますが、音楽の楽のことですが、どういうことかと申しますと、明治になって日本の音曲を捨てて、外国から西洋の音楽を取り入れたときに、音の学問と書いて音学と言ったそうです。そこで、江戸の生き残りの人が音楽は音曲を楽しむものなのだから、というんで音楽と書き換えたんだそうです。つまり、それと同じことで、江戸の人々の暮らし振りを知って今の私たちの生活に役立てるとしたら、江戸東京博物館に展示されているような江戸のハード、建物を見ていると懐かしいかもしれませんが、そう言うものを学ぶことではなくて、江戸の人たちの、楽しい生き方とかとか考え方、というソフトを学ぶべきだというのが、うらしま先生の主張なんですね。そこで江戸楽のがくは学問の学でなく楽しむ楽にしています。江戸しぐさは江戸楽そのものですね。

【江戸の町とは】
次に江戸の町はどんなだったかをお話しましょう。これは、歴史にもあることですので、ご存知の方も多いと思いますが、入府が1603年、今年は2003年でちょうど400年に当たるわけですけれども、とにかく徳川時代の平和は268年5ヶ月、気の遠くなるほど長い間、続いたわけですよ。これは、世界でもまれなわけです。その間、外国も攻めない、侵略もされないという太平が続いたわけですね。そう言う意味では、文化、英語でカルチャーというのは、本来は耕すという意味でしょ、戦争をしてないんで、それが、すごく育ったわけです。昭和の時代、私が物心ついてからは、戦争がずっと続いていたわけですが、江戸は、本当に平和だったわけです。徳川家康は、ほんの一漁村にすぎない、江戸の将来に対して、「水清く、入り江のありて、まな豊か、四方見渡せる、商いの町」という句に首都の条件を当てはめたんですね。水が豊かだったんでしょうね。そして深い入り江があり、まな豊かというのは、魚が沢山とれるということ、お魚を料理する板をまな板っていいますね。江戸の人たちは、おんまな板って言ったそうですが、それを子供が、おんまいたといっていたようです。まなっていうのは、そういう意味があります。四方が見渡せる町として、3年間慎重な準備をして入府されます。そして100年も経たないうちに、世界の大都市に変貌していくわけです。言葉も風習も違う人々が全国津々裏々から集まって来ましたから、江戸は異文化のるつぼだったんです。当時の青森弁と九州弁を比べたら、今の外国語より違うんじゃないかしら。

【江戸は女性上位】
江戸しぐさというのは、江戸の町方の話であることを頭に入れておいてください。武士の世界は葉隠れとかそういうのが別にあるんです。江戸の下町は城下町だったんですね。自主自立の特殊な町だったんです。これも、いろいろと経緯がありまして、参勤交代や出稼ぎの男性、いわゆる単身者が多くて、アメリカの西部開拓時代のように、女性の天下で女性上位だったし、離婚も盛んだったということでした。かなり自由だったんですよ。高木先生が三下り半の研究をやっていますが、高木先生が館長である徳川美術館で私も話したことがありますけど、江戸の女性と言うと虐げられていたと思うかも知れませんが、とんでもない、しっかりしていたんです。好きな男性と結ばれるためには、旦那に三くだり半を書いてもらわないと再婚できないんです。そこで、自分で仕向けて三くだり半を書かせたという非常にちゃっかりしたところもあったんです。亭主と上手くいかない場合には縁切り寺に逃げ込むんです。その絵があるんです。亭主が追っかけてきて、寺の門がしまる寸前に自分のぞうりをポーンと門内に投げるんです。それで離婚が成立したなんていう絵なんです。高木先生は、見合いより恋愛結婚が多かったとおっしゃっていました。

【江戸の八百八町は今のデパートのイメージ】
文化文政、そのころの江戸の人口が120万人、その半分の60万人が町方なんです。その人たちは、江戸の16%位の土地に住んでいたんです。その60万人の8割は何かの商業に従事していたんです。ですから、江戸は侍の町と言っている方は、こちらの侍社会のことを見ているんであって、江戸は商いの町というと、下町のことを言っているんです。その下町の八百八町はちょうど、デパートが横に広がったような様相だったそうです。私も実際に見ていないんで詳しいところは分かりませんが、デパートの建物、外観が似ているので無く、町方には、デパートの従業員のような仲間意識とコミュニティがあったということなんです。ありとあらゆる物を売っていた、たんす横丁、鍋屋横丁、青物横丁とかいう昔の名前がどんどん無くなっていますよね。さっきも車で運転手さんと話してたんですけど、恵比寿にも伊達坂上なんて地名があったんですが、昔、そこに伊達藩のお屋敷があったと言うことが分かるんですが、今は、恵比寿2丁目とか4丁目とか、それも、皇居を中心に番地を決めているようで、駅からいくと、4丁目の次が1丁目になったりで、ぐちゃぐちゃになっているんです。役人が勝手に作ってるんです。懐かしい呼び名というのは愛称として残してもらいたいですよね。江戸の話に戻りますが、男あるじだけでなく、女あるじも多かったようです。江戸小町というのは、べっぴんさんという意味もあると思いますが、自立した女を指したようです。江戸の下町では一人の人間があるときは売る人で、あるときは買う人ということで、純粋な消費者は少なかったんです。当時は、考え方はあったんですが、共生という言葉は、なかったようです。共倒れしない様にああする、こうするという感覚で暮らしていたんだそうです。その体制を守るために、家康は決して戦争だけはするなと言っていたんです。決して戦争をするなという遺訓を守りぬいた武士たちも偉いが、それを支えた町方のリーダー、町衆の働きも大変大きかったのではないかと思います。この大都市の中にいろいろな文化を持った人たちが集まってくるのですから、当然起こりますよ、アツレキだとか摩擦だとかそういうものを出来るだけ避けてみんなが楽しく幸せに暮らしていくにはどうしたら良いかを町衆たちは研究するわけですね。人間研究と言うのをすごくやるわけですね。

【失せもの捜しのしぐさ】
2,3日前に犬のしつけについて書いた新聞を見かけましたが、犬は3カ月のあいだにいろいろ教え込まないと野生になっちゃうと言われていますが、人間も犬と同じで、ある年齢になるまでにそう言うしつけをしなければいけない。そうしないと人情の機微なんてわかりませんよ。六十、七十は失せもの捜しのしぐさと言うんです。私なんても、こういう書類をいろんなところに入れてしまってどこにあるか何時間も捜し回ることがよくあることなんです。けれど、年を取ったら、それが当たり前だと考えるんですね。年寄りに、そういう記憶させたりなんだりをさせるなということなんです。会社だったら、秘書がいたり、大学の先生だったら助手が付いたり、そういうふうに若者が細かいことをやって、今の言葉だったら、クリスタルインテリジェンスというんですか、判断とかいうのは、年取っても衰えないんで年寄りはそれをやる。でも、記憶力は衰えていますよ。本当にばかになったんじゃないかと思うこともあります。それは、ボケたとかそういうんじゃなくて、人間として当たり前のことだと考えると随分気が楽になるんじゃないでしょうかね。そういうことを、すごく研究しているんです。

【江戸の共生社会】
だから、建物とか道路のような江戸のハードも素晴らしいんです。外国人が日本に来た時、きれいな町だと誉めるんです。玉砂利なんか洗ってあって、裸足で歩けるくらいだったようです。でも、この町のハードをきれいにメンテナンスするのは、人々の働きや考え方であって、たとえばイラカの色をそろえるとか、家を建てたら、外観はみんなのものになると言う、共生のルール作りをどんどんやっていくわけですね。生き生きと生きるためのノウハウというか仕掛けとかルールとかを作っていくんです。それが、江戸しぐさと言うものなんです。四方見渡せる商いの町を目指していたんですから、そのころは、江戸しぐさとはいわないで商人しぐさ、繁盛しぐさと言ったんです。それを、江戸しぐさと、うらしま先生が命名したものなんです。江戸しぐさは、いくさといじめを未然に防いだ、江戸町衆の感性と嗜好、センスなんです。とにかく、お上が決めた士農工商という封建的な仕組みがあるわけですが、当時の江戸は世界の大都市ですからね。このころ、アメリカのニューヨークの前身のニューアムステルダムとかは7万人くらいしか人口がいなかったということからも、如何に江戸が大都市だったかが分かります。下町の自治権を持って、江戸には、お互い対等に思いやって時泥棒をせず、気持ち良く生き、共生のための平和なしぐさがあったんですね。

【江戸しぐさは瞬間芸】
ものの考え方、思草、本当のしぐさはこう書きます。思う草、考え方なんですね。哲学ですから考え方、生き方が重要なんです。常に相手を思いやる物の言い方、これが重要なんです。今、この物の言い方がひどいんですよ。あいつの言い草が気に入らないとかでしょっちゅう喧嘩になるんです。江戸では言葉の使い方をトレーニングしたといいます。それと身のこなしですよね。これを瞬間にパフォーマンスする、思いを形にあらわす、表現する、とっさの瞬間芸なんですよ。例えば、傘かしげっていうのを、のろのろやっていたんじゃ、だめなんです。ぱっと瞬間に出る、瞬間芸になっていないとダメなんです。江戸では体談って言ったんだそうです。体で話す。これをトレーニングするに従い、洗練されて、格好良くなっていくんでしょうね。お互い、ものを伝えあう、コミュニケーションが上手になるんです。言わなくてもよいことを言う、これは、「江戸のばか」と言うんだそうですが、偉い人の間でもあるんじゃないでしょうかね。言わなくてもよいことを言って大臣職を失った人もいるくらいです。しぐさを繰り返しているうちに癖になってしまうんです。江戸しぐさは「江戸っ子のくせ」と言われる由縁なんですけどね。特に上に立つ人のしぐさであることが重要なんです。下の人が平等を言うんでなく、上に立つ人が下を見て人間はみな平等であるという考え方、生き方は美しいと思うんですね。こう言う人たちは、さぞ、見るからにいきだったんでしょうね。やがて、そのような江戸しぐさは一般町人を巻き込んでいきます。最後には長屋の熊さん、八さんも見ようみまねで江戸しぐさもどきをするようになるんです。商人の江戸しぐさとは違うとは思いますが、当たり前のようになってくるんです。みんなの道徳という小学校六年生の副読本に江戸しぐさの話が載っています。落語化してあって本当に江戸しぐさを理解しているとは思えないんですが、熊さん八さんが花見に行って、ごみを片付けるというような話が江戸しぐさとして書いてあるんです。

【指きりげんまん、死んだらご免】
上に立つ人が一所懸命考えて、この町を繁盛させるにはどうしたら良いか、外交と赤の他人との付きあいをものすごく大切にしたんです。仲の良い人は問題ないんですよ。始めて会う人とか全然関係の無い人に対してどのように付きあうのかを問題視し、それに力を入れて、功を奏してそういう町になったんです。だから決して自然発生的に生まれたものじゃないんですよ。上に立つ人が、会社でも同じでしょうが、一所懸命考えたんです。そこを見逃しちゃいけないと思うんです。こういうアクションは、親は子に、先輩は後輩にどんどん伝承されてきたものなんです。昭和の初期ころまであちこちで見られたそうです。子供たちの遊びのなごりで、指きりげんまん、嘘付いたら、針千本のーます、っていうのがありますがその後に、本当の下町では、死んだらご免っていうのがあったんです。人間はいつ死ぬか分からないと言う意味と、死なない限り忘れないと言う意味があるんです。このなかにも一人ぐらい思い当たる人がおられるんじゃないでしょうか。でも、今は、自分の子供や孫に教えてないんですね。埼玉県のビデオを作ったときに中学生の男の子が言った言葉が忘れられないんですけれど、大人たちは、なぜ、この美しいしぐさを教えてくれなかったんですか、と聞かれたんです。

【江戸しぐさの神髄は思いやり】
江戸しぐさの基本は、上に立つ人の思いやりなんですね。その神髄は、ノブレス・オブリ−ジェ、これは身分の高い人は当然、勇気、仁慈、高潔などの徳を備えなければならない、というような意味なんですが、江戸商人の哲学なんです。上に立つ人といっても、何百人の会社の社長さんもいれば、家庭ではお父さんもそうだし、子供たちのお母さんや、兄弟だったらお兄さん、お姉さんといった、自分の下に人がいる人はみんな、上に立つ人になるんですね。そういう人たちの考え方や行動が大事だということです。今は、自己中心で、自己虫という虫が増えているようで、思いを相手にプレゼントすると言う、気働きがなくなっちゃたんですよね。これは今では、ほとんど消滅しています。江戸しぐさは、みんな仏の前では平等と言う互角という考え方があって、自立した人間が互角に向き合える、言いあえるというのが江戸の共生なんです。そういう考え方がきちんとあるんです。今、言われているマナーとか、お作法と言われているのは、町方が武家に対応する時のものなんだそうです。だから、江戸しぐさはちょっと違うんですね。今の方が封建時代の江戸のヒエラルキーを真似しちゃっているんですね。皆さんも朝起きた時、家庭で、おはようとか声に出して言わなくても表情や会釈をで表現すると思いますが、町方同士でもきちんと言葉に出さなくても会釈などで、つまり、しぐさで思いを伝えていたんです。こういう会釈しぐさも無くなってきて消滅寸前ですけど、にっこり笑ったりして、会話をしなくても、これは、お互い生き生きと、生きているよという挨拶なんですよ。また、感謝でもあるんです。道ですれ違うときに傘を傾げれば、そう言うことを言っているよ、と体で表現する体談というものなんでしょうね。

【江戸しぐさで言う、いきとは】
このようなヒューマンで和やかな江戸百貨店のような店員どうしの付きあいを、日本中でできたら、もっと穏やかに楽しくなるんじゃないかという気がします。江戸しぐさは、瞬間的に生まれるアクション、目つき、表情、口の利き方、身のこなし、当意即妙、臨機応変、とっさに出来なければならない。おテント様と米の飯はついてまわらあという、日照権と食べ物の分配権は、お上でなく自分たちが持っていると言う、江戸町人たちの心いきを見せたんです。いきは生きているのいきだし、息をしてるのいきだし、これが江戸のいきなんだそうです。子供が熱い物を口に入れたとき、あちって言いますよね。ハウスのコマーシャルにありました。グラタンか何かを口に入れてあちっというのを見て、うらしま先生は、あれは江戸しぐさだよ、とおっしゃっていましたが、始め親はやけどしたら大変なんで、さましたのを口に入れてやりますけど、だんだん、自分で熱さを感じてあちっといって食べなくなりますよね。これは、つまり、親の保護が無くてもやけどをしないというサインと考えたんです。熱いものを食べて子供があちっという声を出せるようになったら、息の祝いというのをしたんだそうです。これは、一人立ちの第一歩なんです。ところが、子供のうちにやけどをさせると、味盲になるんだそうです。だから、いつになったら熱いものを与えても良いかの判断は難しかったんです。私も. 3人の子供を育てましたが子育てというのはそういうものなんです。過保護にならずに自立させるという見極めは大変なんです。人間の集団になると、この会も集団だと思いますが、江戸のいきは、意気投合のいきなんですね。商売でも付きあいでも、いき合いのしぐさがあるんです。いきが合わなければ仕事も、遊びも出来ないんですよ。この会のようにぱっぱと集まれるのは、いき合いがいいんですね。江戸っ子のいきというのは、自分の持っている心意気をスマートに示せること、今風にいったら情報伝達が早くできると言うことなんですね。明治維新の政変の前の江戸っ子のいきの集大成が江戸しぐさでもあるんですね。

【傘かしげ、肩引き、こぶし浮かせ】
江戸しぐさと言えば、傘かしげ、肩引き、こぶし浮かせ。傘かしげは、雨が降っているとき、往来で傘を外側に向けてそっとすれ違う、今は、逆に冷たい傘をこちらに向ける人がいますからね。傘を外側に向けて傘と傘の間に一つの共有の世界を作ると言うことなんです。肩引きは、お互いに右肩を引いて胸と胸とを合わせるしぐさです。OLなんかが、機嫌が悪いとき上司とすれ違うときにお尻をむけるのとは大違いです。こぶし腰浮かせというのは、昔の乗合舟ですよね。先客たちが後から乗るお客様のために、こぶしひとつ分だけ腰を浮かせて空間をつくるということです。始めはこぶしをつくことと思っていたんですが、そうでなく、こぶしの分だけ腰を浮かせるという意味なんですね。いきなり立って席を空けるのでなくて、このくらい浮かせれば余裕が出ますよね。かに歩きと言うのもあるんですね。これは全部、往来しぐさですが、かにのように横歩きしてすれ違ったということです。これはみんなやっていますよね。戦前の小学校では雨の日には、かに歩きのトレーニングをしたんだそうですよ。七三の道、公の道を七と考えて歩いた。今は車道と歩道がありますが、歩道を自転車が走るんで、あれは、怖いですよね。本当にぶつけられたら老人なんかいちころです。危ないです。それから、仁王立ち、江戸しぐさには、して良いものと、してはいけないものがあるんです。バスなんかで昇降口のところに何で立ってんのという人がいるじゃないですか、これはいけないしぐさ。仁王立ちじゃないですが、電車に乗っていたら、若い男の人が満員電車で長い足を出して座っていたんです。どんどんみんな、またいで行くんです。ラッシュアワーですから。そのとき、五十を超えたくらいの人が、君、じゃまじゃないか、あしを引っ込めたまえ、と怒ったんです。最後は、引っ込めろとすごい勢いで怒鳴ったんです。その男の子も最初は平気な顔をしていたけど、最後は引っ込めたんです。でもその人が通ったらまた足を出しているんですよね。これはどっちも悪いんじゃないかしら。引っ込めろという言い方はないんじゃないかと思います。もうひとつ、電車の中の話なんですけど、電車がゆれて誰かが足を踏んだんだそうです。踏まれた紳士が、人の足を踏んだんだから謝れとか言ったそうです。そうしたら、踏んだほうの青年が電車がゆれたんだから電車のせいじゃないかと言ったんだそうです。そうしたら、それを見ていたそばの紳士が、君、外国ではね、どんなことがあっても、人の足を踏んだらパードンとかソーリィくらい言うぜ、と言ったんです。そうしたら、その青年もだまちゃってそばの人たちもさわやかな気持ちになりましたというお話です。この諭し方がいきなんじゃないでしょうかね。

【江戸しぐさは江戸っ子のブランド】
こういうしぐさは、町衆たちが生きていると言う喜びの合図なんですね。常に生かされていると言うことを感謝しているんです。言葉だと長くなるけど、それを一瞬のうちに傘をかしげるだけで相手に気持ちを伝えてしまうんです。江戸っ子同士だったら慈しみあう、全然知らない人だったら、相手に敵意を持っていませんよということを表現しているんです。安心しますよね。タクシーの運転手さんでも、ここに行ってくれと言っても、黙っていて、はいとも言わないでいられると、とても怖い思いをしますよね。こう言うときにちょっとしたリアクションで敵意をもっていないというしぐさをしてくれれば良いですね。これは信号だったんですけど、もうひとつは江戸っ子のブランドだったんです。最近の若い子はルイビトンだとかそんなブランド品を持っていますね。女の子が7人ぐらい歩いていると5人くらいがブランド品を持っているんですね。あれも、ブランドを持っているという誇りなんだと思いますが、江戸しぐさは、ソフトですから、これはメッキがはがれない江戸っ子のブランドだったんですよね。これをやっていないのは江戸っ子じゃないんですよ。しぐさをみてスリが、あいつはぽっとでだ、と狙ったそうなんです。江戸しぐさの面白いのは、ちゃっかりしているということなんです。そろばん勘定すると最後は得をしたというのがあるんです。これが21世紀向きだと思うわけ。それを今の若い人に説いたら、結局、得だわということになるんで、そういう攻めかたもあるんじゃないかと思っているんです。しかも、これは江戸商人の子供の. 3歳から9歳ころまでのしつけのごく初歩のものなんですよ。子供の初歩のパントマイムでお初しぐさ、稚児しぐさができないと商人を継げないよってことなんです。師は、ほうれん草を売るためにポパイのまんがを作ったのに、ポパイだけが売れちゃって、ほうれん草が人気が無い、と同じように江戸しぐさは形だけだと捉えて本当の考え方が伝わらないのは残念だといつも言っておられました。

【江戸の段階的養育法】
ここで「三つ心、六つしつけ、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」という江戸しぐさのハイライト的なものをご紹介します。草柳大蔵さんなんかもすごく誉めていましたね。三つ心、心が三つもあるんですかと言う人もいますが、そうじゃないんです。これは、江戸の段階的養育法なんです。もう遅いという顔をしておられる方もいますが、お孫さんのことを考えてください。江戸では一方的に教える教育という言葉より、養育とか鍛育という言葉の方が使われたんですね。教育というと上下が出来てしまう。自発的な発想が育たないというんですね。自分で判断させて育てるためには、教育という言葉はふさわしくないということなんです。だから養育法なんですね。三歳の子供に天才教育をするという記事がありましたね。リビングルームは英語の歌をかけておいて、食堂には中国語とか世界中の言葉をどこでも聞けるようにしているんです。そんなことじゃないと思います。真の人間形成のためには、成長に合わせた養育が、全人教育が必要だということを示唆しているんです。江戸の賢者は人間は脳と体と心の三つからなっていると考えたんです。心を脳と体を結ぶマリオネットの糸と考えたんです。これは素晴らしい比喩だと思いますよ。心は、頭にあるとか、胸にあるとか言われていますが、それを糸と考えたんです。心はマリオネットの糸ですから、その操り方でどうにでもなるんです。数え年の. 3歳までに、この見えない心の糸をしっかり張りこまなければいけない。蜘蛛の巣が緻密なほうが良いように、綿密な用意周到さで張り巡らさなければいけない。一日一本として. 3年間張れば、1000本の糸が張れるように心がけたと言われています。これが片親だと500本の糸しか張れないから、と言ったらそれは差別用語だと言われたことがあるんです。でも、それはおかしいんです。その言葉を使わなければ、そういう子供はいないということになっちゃうんです。そういう片親だから余計に周りが注意しなければいけないし、コミュニティのみんなはそれを手助けしなければいけない。江戸には、そういう考え方があったんです。女手がいなければ女手、男手がいないところには男手を差し伸べる、という裏付けがあったから、片親で500本しか張れない子供は、心して育てなければいけないということなのです。

【忙しいは心を亡ぼす】
心は本当に大事で、忙しいと言う字は、心を亡ぼす、と書きますね。忘れるもそうです。江戸人はお忙しいですかと聞かれると顔を青くして怒ったと言われています。自分が忙しいと言うのはいいんだそうです。でも、相手に聞かれたら怒るんだそうです。心を亡くした木偶かなんかと言われたと思うんだそうです。非常に心と言うものを大事にしたんだそうです。心としぐさの仕組みを. 3歳の子供にどのように理解させたかというと、知識として教えたんではないんです。結局、親のしぐさを見せるんです。子供はまねをしますよ。親の通りに良いことも悪いこともまねをしますよ。見取らせるということ、見取り図というのは、江戸教育用語だそうですけれど、見習わせる、見取らせる、要は、見ようみまねをする。今は、この見ようみまねの手本になる大人がすくなくなっちゃったというのが問題なんですよね。六つしつけ、というのは六歳までに、体と脳味噌を結びつけるこころの糸の操り方を教えると言うことなんです。手取り足取り真似させて、何度も何度も繰り返すトレーニングなんですね。現在はエデュケーションばかりで、このトレーニングがおろそかになっているんです。何でもやってみるしかないんですよ。傘かしげだって、肩引きだって、何回も何回もやるしかないんです。食べ方とか箸の使い方など日常茶飯事のしぐさもそうですが、何回もやらせて教えるんです。子供も六歳くらいになると、意思が半分くらい目覚めて大人のしぐさをするようになるそうです。九つ言葉というのは、これはみんな商人のことですから、挨拶が出来るようにするということなんです。挨拶と言っても大人の挨拶なんです。世辞が言える、左様でございます、とかきちんとした言葉なんです。江戸商人の才覚とか商才はこの言葉で決まっちゃうんです。江戸講師は、全国を回って、商人として才覚がある九つの子供を引き抜いてきたそうです。十二文、これは主の代書が出来るようにしたんですね。注文書、請求書、弁解書、苦情処理まで、まがりなりなりにも書けるようにしたんだそうです。万が一、主が亡くなってもすぐに代行できるようにしたんです。十五理というのは経済とか物理とかサイエンスとかケミストリイとかが暗記でなく理解できること、それまでは、いくら覚えたって訳が分かっているんじゃなくて暗記なんです。本当に理解できるのが十五歳なんだそうです。ここまで来ると、本人の行く末がきまる、ということです。商人に不適当な子もいますし、抜群に聡い子もいるんですよ。本当の個性を尊重し人間の適材適所を振り分けていくという大役を担っていたのが寺子屋の師匠や江戸講の講師だったそうです。

【江戸のエコロジー】
江戸のエコロジー草主人従。草主人従という言葉は、ほとんどの方がご存じ無いでしょうが、私も江戸しぐさで初めて知ったんです。加賀の千代女の作った句に、「朝顔に、つるべ取られて、もらい水」というのがありますよね。私たちが学校で習ったときは、千代女の女性らしい優しさがよく表現されているなんて教わったんですが、江戸町衆のリーダーたちの解釈にはひと味違った深い意味があったことを知らされたんです。彼らには、草主人従、自然が主人公で人はそれに従う、という考え方を持っていたんで、そのことを背景にしてこの句を読むべきだと言うことなんです。もう大分前ですが、阪神大震災では、自然の力を思い知らされたわけですけど、現在は、自然への畏敬の心があまりにも無いような気がしています。また、この句は、寺子屋の教材だったんだそうですよ。この句で、いろんな事を教えたんですって。まず、朝顔に支えの棒をしなかったんですね。朝顔は、必ずつるを伸ばすものなのに支えの棒をしなかったのはこれはうかつだと、うかつさへの反省です。商人がうかつだったら、商売ができないわけですよね。これを厳しくいったそうです。朝顔のつるを外すと枯れちゃうでしょ。だから自然が主でそれに人間は従う、そっとしておくわけです。そして、水をくめないから借りに行くでしょう。当時では水は非常に大切なものだったんです。大変、神経を使ったし、人からものを借りると言うことは、必ず返さなければいけないということなんです。それを教えたんです。なんですか、今は、大企業のお偉いさんが、借りたものを返さなくて良いなんて冗談じゃないわよ。この句を題材にしてこのようなことを教えたんだそうですよ。西洋人が自然を征服した人主草従でなく、草主人従なんです。人間は自然に従うべきだと言うエコロジー的な考えがあるんです。寺子屋のお師匠さんは、子供たちに、小さな地球のなかで生きとし生けるものは全て相互関係があるということを教えていたそうなんです。どうして地球が小さいことが分かったか知りませんが、すごい発想をしていたもんだと思います。

【寺子屋のべからず立て札】
寺子屋のべからず立て札というのは、江戸の寺子屋の路地には、「ここにゴミ捨てるべからず」「ここに小便するべからず」という二本の立て札がわざと立ててあったというんです。今のべからずの意味と違って、立ち小便がいけない、というべからずではないんですね。そうすることは、おかしいことなんだよ、という非常に優しい表現なんです。すなわち、江戸の起業家、商人の子としてゴミをすてたり、立ち小便をしたりして、公共の場所を汚すことは、悪いこと、おかしいこと、こんなことをしたら商人として、相手にされないよ、ということをいってたんだそうです。頭からするなっというんでなく、江戸商人の子供としてのプライドを自覚させて、刷り込みをしてたんです。江戸の寺子屋って言うのは、親がお金を出し合って師匠を雇った公塾のようなものだったんです。義務教育じゃありませんから、登校拒否なんかもないでしょうし、子供たちは、嬉々として通っていたそうです。読み書き算盤だけを教えるのは田舎寺子屋で、江戸寺子屋は、「見る聞く話す」を教えたんだそうです。江戸寺子屋は、男あるじ、女あるじの卵、つまり、人の上に立つ人を養成していましたから、「見る聞く話す」の次に考えるまで、「見聞話考」を教えたんだそうです。初午の日が寺子屋の入学日と知られていますが、江戸寺子屋の入学日は、七夕なんです。何故かというと、もちろん、当時は旧暦ですから、七夕は8月、真夏で親たちが暇な時にしたんです。親たちと一時、2時間じっと師匠の話を聞くんだそうです。それに耐えられるのが入学試験だったそうです。今の学校と寺子屋の大きな違いがあるんです。今の教育は子供たちに知識を一方的に詰め込むんですね。寺子屋は、自ら考えて行動して自発心を付けさせるということを主眼にしたそうです。想像力を使って人と人との付きあいを基本としたそうです。また、肩書きなどに頼らないで人を見抜く力を付けさせたんです。この前、ある土木関係のシンポジウムに行きましたら、若い人なんですが偉い肩書きの名刺をばーっと出されて、どんな人かと思ってびっくりしちゃったんですけど、話してみましたらみんなジェントルマンで良い人でしたけどね。そういう肩書きを先に出されちゃうと、なんか色眼鏡で見るようになるんです。本当に真の人間を見抜けないことがあるんです。寺子屋は、人を見抜く洞察力を養成したんだそうです。江戸のべからずの立て札を見た薩長の占領軍が、立て札の意味を禁止令だと思って、あっちこっちに立て札を立てたということが、「異新珍聞」という当時の風刺的な新聞に書かれていたそうです。

【江戸の危機管理】
次は江戸講中の危機管理システムについてお話します。「地震雷火事親父」というのは私が子供の頃にも聞きましたが、こわいもの順にあると思っていましたよ。しかし、江戸衆の解釈ですが、この親父の意味は筆頭ということ、すなわち、「地震雷火事の中で火事が一番こわいですよ」という意味だったんだそうです。だから気を付けろということだったんです。江戸の町は、非常に火事が多かったと言われていますが、防ぐための町のレイアウトもしてたんだそうです。広小路なんかは、火伏せの道路だったし、火の用心の当番は、二時間おきに頻繁に見まわりをしていたんです。また、江戸の地震というのは「ナマズの天地返し」と言って、上下動、いわば、直下型の地震だったそうです。六十年に一ぺんくらいあるとみんな思っていたそうです。ナマズではなくナマスと言ったそうです。西洋のように石で家を造る技術はあったのですが、地震で倒れたときに片づけが簡単に出来るように家は木で作ったそうです。土台は石、家は木に決めていたそうです。お堀の石垣なんてすごいじゃないですか、コンピュータも何にもない時代にあれだけの技術はあったんです。大名屋敷には地震部屋、町方では、避震部屋、家の補強に、はすかいを入れて江戸では、地震に備えていたんです。このような地震などのときは、「飛び越ししぐさ」で、どんどんボランティア活動を自主的にやったそうです。阪神大震災の時にあったじゃないですか。手続きが出来ないからどうのこうのっていうのが。そうしないと自分たちの命が助からないと言うときは、ちゃんと危機管理のための「なます講」などというボランティア組織がさっと出来たそうです。天下太平の江戸の町ですけど、城下町ですから、いつ戦争がおこるかわからない、それに備えて、米を蒸し、つぶして棒状にのばして浴衣とか帷子に縫い込んでおいたそうで、明治、大正、昭和になっても、味が変わらなかったそうです。

【江戸町衆の一日】
最後に、いきで素敵な江戸の一日、「働く」というのにもバリエーションがありまして、先ず、朝飯前というのがあります。朝、ご飯を食べる前にはご近所のお付き合いをしたんだそうです。ご老人や母子家庭に何か手助けすることがないかとか、そういうことを、朝飯を食べる前にやってたことが朝飯前だそうです。午前中は3時間ぐらい身すぎ、世すぎのため働くわけです。だから、江戸っ子は3時間くらいしか働かないというのは、そこら辺を言っているようです。そして、お昼を食べて、午後は傍、周りの人を楽にする働きなんです。町のためのボランティアみたいなもんです。夕方は、明日に備える、明日備(あすび→あそび)明日に備えてリクリエーション、それで、人間として一番評価されたのは、午後の傍を楽にする働き、というお話でした。今日のお話はここまでに致します。時間を大分オーバーしました。ご静聴、ありがとうございました。

Saturday, February 10, 2007

「江戸しぐさ」は日本固有のものだろうか?

公共広告機構がテレビで「江戸しぐさ」のコマーシャルを流している。
これは、日本固有のものだろうか?

海外、特にアメリカの展示会などに行ったり、ホテルに泊まったりすると感じる。
混んだ展示会を歩いていて肩が触れたりすると向こうから「イクスキューズ ミー」と必ず言う。
ホテルの掃除をしているおばさんに目が合うと「グッドモーンング」と言ってくる。

これは、人を思いやる気持ち良い習慣である。

Saturday, January 14, 2006

江戸しぐさブーム?

最近、地下鉄の中刷り広告に江戸しぐさが出ている。新聞にも、盛んに取り上げられている。江戸しぐさがブームになってきたようだ。江戸の人たちは、どんな ことを考え、どんな立ち振る舞いをしていたのだろうか。インターネット全盛の今にその痕跡を探すのも考古学的な興味から面白いかもしれない。

Monday, October 31, 2005

江戸しぐさ(おめみえしぐさ)

教科書に書いてあるものだけが真実ではない。文字に残っているものだけが歴史ではない。400年も平和が続いた江戸時代には、人々の間に暗黙の決まりが あった。誰が決めたものでもない、庶民の世の中を楽しんで過ごしていきたい、という思いが日本人の心の中にあった。それをまと めたのが江戸しぐさと言われている。

オレオレ詐欺、フィッシング詐欺、勝ち組負け組、拝金主義、企業買収、グローバリズム、自爆テロ、自殺者3万人、狂牛病、アスベスト、弱肉強食・・・

今 の世の中、いやな言葉ばかりが跋扈している。インターネットを使って瞬時に地球の裏側に行ける時代、宇宙旅行が出来る時代、人の遺伝子が解明 された時代、こんなに科学技術が発達しているのに庶民の生活は良くなったのだろうか。

縄 文、弥生から数えると数千年の歴史を持つ日本、この長い歴史の中で培われ庶民た知恵をもう一度見直そう。いつの時代にも真摯に生きた人がいて確かな文化を作ってきた。江戸 しぐさは、そんな江戸の賢人たちが考えた知恵の結晶である。